出会いは大切に」。。。もう時代遅れ
「譲り合い」という記事を読んだ。日本人は自分の都合に合わせてその互譲精神を使っていることの証拠だ。確かに「ギブアンドテック」の時代だなぁと考えて間違いない。
この記事を書くのは弁論大会で聞いた「出会い」についてのスピーチがきっかけ。
つらい話に聞こえるかもしれないが、同感のメールが殺到する自信がある。例外もある。とりあえずその「気持ちを文字にしようかと。。
Puneでは印日関連組織とIT企業の「お陰」でホームステイ・Buddyプログラムが人気を呼んでいる。日本人に近づけて「友達」になれるような貴重なチャンスに聞こえる。 本当かそりゃ。。。ムカつく!甘言で人をつることだ!
Buddyまたはホストとして自分のお金で案内したのに。。。
高いお土産まで買ってあげたのに。。。
帰国した日本人「友達」からメールもとどかない :(
今さら後悔してもねぇ。。
後輩たちに色眼鏡でみて欲しくはないけれども、せめて「気をつけよう」
「袖の触れ合いは多少の縁」ということわざが日本人には辞書のみに限られている。「インド人との出会いは多少の時間つぶし」と変えなきゃ。
ホームステイ・Buddyにきている日本人の中でそれほどまじめな人と出会った覚えがない。上のことわざそのまま勉強して、そのささやかな出会いも大切している間、勉強・仕事・家事・お金まで犠牲にしてしまう。帰国した日本人から感謝のメールぐらい期待する。それぐらいの権利があると思う。。
週末にある日本人に食事に誘われた。彼女が本当に誘いたかったか当日疲れていたか最後までわからなかった。ご飯の材料まで用意したのに彼女は自分からひとごとも聞かない。私も出勤後、訪問していたので結構疲れていた。一緒に料理作ったけれども最後まで会話のキャッチボールなし。彼女のアホナ対応でもっと疲れてうちに帰った。
出会い・一期一会・思いやりなどが実用性の少ない言葉となっていることの印だと。読解・辞書の中でのことば丸暗記でもいい。実行せずに勉強中、使えばいいなぁと考えた。日本人の中でも日本人のくずがあると考えて自分を慰める内容でその夜の日記を書き終わった。
これ文化の違い真理のちがいか私の知恵が足りないか、わからない。
皆さんも日本人と友達になりたがっているかもしれませんが、気をつけながら。むざむざと無力感までもって日本人と友達にならなくてもいいと思う。
日本は愛国だが文化も大好き
雪も暖めて溶けるが
日本人は北極点の雪
軽い気持ちで付き合おう
気持ちはこめるな
今回頑張れ「にっぽん」ではなくて頑張れ「日本人」とさけびたい。。
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